【ブログ】小木の五月人形 蒲生氏郷公、兜に込める武将の想い
■ 2024/03/11(月) 【ブログ】小木の五月人形 蒲生氏郷公、兜に込める武将の想い
戦国時代に活躍した武将の兜をご紹介したいと思います。
戦国時代の兜は、防御力や機動力を高める工夫と、戦場で自らの存在を誇示することが狙いで、さまざまなデザインの工夫をされています。
兜には、「立物」と呼ばれる装飾部分があり、前立、脇立、後立、など付ける位置で名称は変わります。
信仰やげん担ぎ、忠誠心・友情・信頼の証など武将たちが心を込めた兜の意味を知ったうえで、五月人形を選ぶのも良いと思います。
本日は蒲生氏郷公です。
蒲生氏郷は、近江(滋賀県)出身で、近江の守護・六角義賢にの重臣だった、父・蒲生賢秀の三男として生まれ、織田信長に降伏した父の人質として織田家に差し出されて、蒲生家は柴田勝家の与力となります。
まだ子供であり、しかも人質の身で織田家側に引き渡された氏郷でしたが、織田信長に初対面で「眼光常ならず」と評され、目つきの鋭い、知性的な氏郷の面持ちを、大変気に入ったと言われています。
また、天下統一を果たした豊臣秀吉は、織田信長に最も認められた武将の蒲生氏郷を、徳川家康よりも恐れていた存在と言われています。
織田信長の眼力通り、蒲生氏郷は誰よりも家臣・領民思いであり、文武両道の勇士として多くの戦いに参陣し大活躍していきます。
さて、蒲生氏郷の兜は、燕の尾羽の形を兜にした、漆黒の兜「黒漆塗燕尾形兜」です。
黒で統一された甲冑で、シンプルながらも、戦場では良く目立つため、家臣たちの士気を高め、敵への威嚇にも大きな効果を果たしたようです。
蒲生氏郷の養妹が嫁いだ南部家では「燕尾形兜」を「鯰尾兜」と呼び、この兜を伝えてきてます。
また、岩手県立博物館所蔵の燕尾形兜は、展示されている表記は「鯰尾兜」と書かれています。
参考にされている『名将言行録』という一冊の本には、
『我旗本に銀の鯰尾の冑を戴き先陣に進む者有り、此者に劣らず働くべし』
~戦のとき、銀の鯰尾の兜をかぶった者が先陣を切っていたら、その者に負けないように働くように~
と新参の兵士を鼓舞したと書かれています。
実際に、氏郷所用とされる銀の鯰尾の兜は現存していませんが、当時の認識として「蒲生氏郷=銀の鯰尾の冑」というイメージがあったものと推測され、南部家ではその流れを絶やさず守り続け、現在に至るものと考えられます。
自ら戦の先陣を切って活躍するほどの豪胆さでリーダーシップを発揮しつつ、家臣を気遣う配慮も忘れなかった蒲生氏郷。
「彼が長生きさえしていれば、天下人になれるほどの器量があった」と評価する人が、当時もいまも大勢おり、魅力ある武将のひとりです。
こちらは、岩手県立博物館所蔵です。
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