【ブログ】埼玉岩槻には歴史がある。岩槻城について
■ 2023/08/04(金) 【ブログ】埼玉岩槻には歴史がある。岩槻城について
岩槻城は、埼玉県さいたま市岩槻区にある城郭であり、戦国時代から江戸時代にかけての歴史があります。
【戦国時代】
岩槻城は、戦国時代の1560年頃に北条氏康によって築城されました。
北条氏は関東地方を中心に勢力を持ち、岩槻城はその東方防衛線として機能しました。当初は木造の城郭でしたが、後に石垣や櫓などが築かれ、城としての規模が拡大していきました。
【豊臣時代】
1582年、織田信長の死後、関東を制した豊臣秀吉が岩槻城を攻略しました。これにより、豊臣氏の支配下に入ります。豊臣秀吉は岩槻城の城主に小田氏を任命し、城の改修や整備を進めました。岩槻城は江戸時代初期に至るまで、豊臣秀吉の配下や関東の支配者が城主となる重要な拠点でした。
【江戸時代】
1600年、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利し、江戸幕府が成立します。
岩槻城は徳川家康の配下である太田資正(おおたすけまさ)によって城主が代替わりしました。太田資正は岩槻城を改修し、城の機能を強化しました。岩槻城は、江戸時代には幕府の関東支配の要地として重要な役割を果たしました。
【明治時代以降】
明治時代になると、幕府が滅亡し、岩槻城もその城としての機能を失いました。城内の建造物は次第に取り壊され、現在は城址公園として整備されています。一部の遺構や石垣が残され、歴史を感じることができる場所となっています。
岩槻城は、戦国時代から江戸時代にかけての歴史を持つ城郭であり、地域の歴史と文化を伝える重要な遺産の一つとされています。
城址公園として、観光客や地元の人々に親しまれています。
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