【ブログ】埼玉・人形のまち岩槻の由来を調べました。
■ 2023/08/02(水) 【ブログ】埼玉・人形のまち岩槻の由来を調べました。
歴史ある岩槻のまち。
雛人形で有名ですが、岩槻の町の由来を調べてみました。
【岩槻の由来】
江戸時代に日光東照宮が造営され将軍の日光社参が始まると日光御成道が整備され、宿場町としてまた城下町として、武蔵国東部の中心地として大いに栄えました。
この頃に日光東照宮の造営、修築にあった工匠たちがこの地に足をとどめ、人形づくりを手がけたのが岩槻人形の始まりと伝えられています。
岩槻周辺は、江戸時代頃まで利根川(現在の古利根川)、荒川(現在の元荒川)などの大河が流れ、また東北地方に通じる主要な街道が通るなど水陸交通の要衝であったため、軍事上の拠点として重視され、室町時代の後半に岩槻城が築城されました。
岩槻の地名は、太田道灌が城を築き、その城塞が大きな岩をもって築いたようにみえた」ことから、「岩築」の城と名付けました。この地に作られた岩槻城の名前に由来します。
現在の「岩槻」の字が使われ始めたのは江戸中期からです。
槻はケヤキの古名で、城の土塁や町の随所にケヤキが植えられていたことからこの字が当てはめられたと言われています。
もし・・・。
日光東照宮が作られなかったら。
徳川家康が天下を取っていなかったら。
そう考えると、岩槻もいろいろな縁で今がある町ですね。