【ブログ】国宝~戦国武将まで。時代と共に進化する鎧 小木の五月人形
■ 2023/03/04(土) 【ブログ】国宝~戦国武将まで。時代と共に進化する鎧 小木の五月人形
甲冑を見れば時代がわかります。
ポイントは3つで、兜の鉢の形、胴の素材、草摺の分割です。
なぜ、進化したのでしょう?
それは、時代により武器や戦い方が変化していき、身を守るための甲冑も改良されていったからです。
兜の「鉢」は、“載せる”のものから、後頭部まで頭全体を覆って守る形状に変化しました。
胴は、武器が弓から銃へと移り変わるとともに強固な素材で隙間なく作られました。
そして、草摺(くさずり)と呼ばれるスカートのような部分は、馬上で戦う平安・鎌倉時代は下半身を覆うように4枚のものが主流でしたが、戦国時代に走ったり、山を登ったりと機動力が必要になったため分割化が進みました。
【大鎧】
源義経、足利尊氏など平安~室町時代の騎乗の上級武士が着用していた鎧は『大鎧』というものです。
1対1で正々堂々と戦った平安時代の戦。
優美な甲冑を身に付けた貴族武士たちの戦は、鍛え上げられた弓馬で戦いを挑みます。
大袖(肩部の盾)や大きな吹返し、鳩尾・栴檀板など、騎馬戦、騎射戦が中心のため、馬上での防御、対弓防御を重視して作られています。
ですが、重量もあり徒歩での戦闘には不向きな鎧でした。
【腹巻、胴丸】
主に徒歩で戦う下級武士や従者などが着用していた鎧が『腹巻』『胴丸』です。
袖がなかったり、兜がない場合があるなど防御面において非常に簡略化されている反面、軽く動きやすい構造のものでした。
時代が変わり南北朝期以降、山の砦などに攻めることが増え、弓より槍を使った接近戦が有効になっていき、戦闘の方式が集団戦、近接徒歩戦に移っていくと、上級武士たちも動きやすい腹巻、胴丸を着用するようになり、大鎧は廃れていきます。
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