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【ブログ】時代と共に進化する鎧:小木の五月人形から国宝・戦国武将まで

■ 2025/03/05(水) 【ブログ】時代と共に進化する鎧:小木の五月人形から国宝・戦国武将まで
甲冑を見れば時代がわかります。
ポイントは3つ:兜の鉢の形、胴の素材、草摺の分割です。

なぜ甲冑は進化したのでしょうか?
それは、時代により武器や戦い方が変化していき、身を守るための甲冑も改良されていったからです。

兜の「鉢」は、単に"載せる"だけのものから、後頭部まで頭全体を覆って守る形状へと変化しました。胴は、武器が弓から銃へと移り変わるとともに、より強固な素材で隙間なく作られるようになりました。

草摺(くさずり)と呼ばれるスカートのような部分は、馬上で戦う平安・鎌倉時代には下半身を覆う4枚構造が主流でしたが、戦国時代になると走ったり山を登ったりと機動力が必要になったため、より細かく分割されるようになりました。

大鎧
源義経、足利尊氏など平安~室町時代の騎乗の上級武士が着用していた鎧は『大鎧』と呼ばれます。
1対1で正々堂々と戦った平安時代。優美な甲冑を身に付けた貴族武士たちは、鍛え上げられた弓馬の技で戦いを挑みました。

大袖(肩部の盾)や大きな吹返し、鳩尾・栴檀板など、騎馬戦や騎射戦に適した防御を重視して作られています。
しかし、重量があるため徒歩での戦闘には不向きでした。

腹巻、胴丸
主に徒歩で戦う下級武士や従者が着用していた鎧が『腹巻』『胴丸』です。
袖がなかったり兜がない場合があるなど、防御面では簡略化されている反面、軽く動きやすい構造となっていました。

南北朝期以降、山の砦などへの攻撃が増え、弓より槍を使った接近戦が有効になると、戦闘方式は集団戦・近接徒歩戦へと移行します。上級武士たちも動きやすい腹巻や胴丸を着用するようになり、大鎧は次第に廃れていきました。

当世具足
戦国時代以降になると、集団戦のほか、長く続く戦乱や鉄砲の登場により、より生産性が高くかつ堅牢な鎧が求められ、腹巻、胴丸は『当世具足』へと発達します。
「当世」とは「現代の」という意味で、「具足」は"具が足りている"ということから、兜・胴・袖・面頬等一式すべて揃っている状態を指します。

当世具足は、それまでの複雑な工程や部品で製作される鎧と違い、板札や鉄板、蝶番などを使い、大量生産に向き、着用が容易で機能性と対鉄砲防御性を両立させたものです。
また、デザイン面でも工夫が施され、奇抜な形態の変わり兜とともに、戦場で自らの存在を誇示することも狙いでした。

お子様やお孫様のために選ぶ五月人形。小木人形にある兜や鎧には、それぞれに積み重なった歴史があります。
歴史の授業が苦手だったという親御様もいらっしゃるかもしれませんが、いつか大きくなったお子様にお話ししてあげるためにも、ご購入された鎧や兜についての歴史知識を深めてみてはいかがでしょうか。
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