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小木人形 戦国武将の兜に込めれた意味を知る 本多忠勝公

■2018/04/11 小木人形 戦国武将の兜に込めれた意味を知る 本多忠勝公
戦国時代に活躍した武将の兜をご紹介したいと思います。

戦国時代の兜は、防御力や機動力を高める工夫と、戦場で自らの存在を誇示することが狙いで、さまざまなデザインの工夫をされています。
兜には、「立物」と呼ばれる装飾部分があり、前立、脇立、後立、など付ける位置で名称は変わります。

信仰やげん担ぎ、忠誠心・友情・信頼の証など武将たちが心を込めた兜の意味を知ったうえで、五月人形を選ぶのも良いと思いますよ。

本日は本多忠勝公です。



本多忠勝は、三河国(現愛知県)出身で、幼い頃から徳川家康に従事し、家臣の中でも武勇に秀でた武将で、徳川四天王のひとりと言われています。

本多忠勝の活躍は、敵味方を問わずに賞賛されたといいます。
豪快な性格の一方で武勇に優れた人物を尊敬し、敵でも敬意をはらう一面も持っていたそうです。

本多忠勝の具足は、黒で統一されたシンプルな具足です。
本多忠勝は、1560年に初陣を飾ると姉川の戦い、小牧・長久手の戦い、関ヶ原の戦いなど、57度出陣しますが、一度も傷を負わなかったと言われています。
忠勝の名前は、「ただ勝つのみ」という由来からだそうです。
忠勝が無傷でいられたのは、その名前の通りの生き方と、そして実戦を重ね、具足の改良を重ね、とにかく軽量で動きやすいものを作る努力を怠らなかったことが、一度も傷を負わず戦に出陣できた理由なのではないでしょうか。

兜は、頂部が尖った突盔形兜(とっぱいなりかぶと)に鹿角の脇立と獅噛の前立てが付いています。
鹿の角の脇立の兜を付け奮戦する様子が、長篠合戦図屏風に描かれています。
他に、脇立てに鹿の角を持つ兜を着用した戦国武将としては真田幸村も有名ですね。

兜の脇立を鹿にしたのは、諸説ではありますが、桶狭間の合戦で今川義元が撃たれ、家康軍はただちに岡崎城に戻らなくてはいけないときに、川が増水して渡れないことを忠勝は発見します。
その時に鹿が現れ、同じく対岸に渡りたい様子だったところを見ていると、ある地点で浅瀬を見つけ川を渡っていきます。そのおかげで無事三河に帰ることができたといいます。
その時以来、忠勝は「この時の鹿のように、一生家康殿をお守りしよう」と心に決め、鹿の角を持つ兜を作ったと言われています。

また、鹿は古くから神の使いとして大切にされてきました。
鹿を神使としているのは奈良の春日大社、茨城県の鹿島神宮、広島県の厳島神社です。
鹿が神の使いとされるのは諸説ですが、山の多い日本において、険しい山でも颯爽と駆け抜ける姿は神秘的な力を持つ動物に写ったのかもしれません。

本多忠勝は、戦での働きに加え、人としての器の大きさが魅力であり、それが今なお、人を惹きつける武将として人気があるのでしょう。



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